【交通事故に遭いまして🚑】
先日交通事故に遭い、左膝の関節部分を骨折しました。
自転車(私)対 車
の事故で、現場は人通りの多い五叉路でした。
こちらは青信号だったので、大丈夫だと思い込み前だけ見てまっすぐ進んでいました。
ですが左折してくる車に私の姿が見えてなかったのか、ゆっくりですが私に向かって突っ込んできました。
ぶつかる直前まで左折車に気を向けてなかった私はぶつかる瞬間に
「うそ...。」
と1人で小さく呟いたのを覚えています。汗
自転車ごと倒されてから車が完全に停止するまでに車体が私の上で少し動き、地面と車体前面部分の間に膝ごと挟まった形でした。
相手の方は駐車場を探していたようで、直前まで私の姿が見えてなかったみたいです。
文章にするとよくわからないですね。
まあとにかくスピードを出して衝突してきたわけではなく、ぬるっとぶつかってきた感じだったので、意識もあったし腰から上は全くの無傷でした。ただ、脚を動かして自力で立ち上がることが出来なかったので、通りすがりの男性2人が安全な場所まで運んでくれました。他にも通りすがりの人が警察や救急車など各方面に連絡してくださり、警察もすぐ来たし5分程度で救急車が到着しました。
まさか人生2度目の救急車が親とかでなく自分だなんて。(1回目は会社の同期の付き添い。)
搬送中に救急隊の人が靴下を脱がせてくれたのですが、靴下を2枚履きしていたのと、履いていた柄がハッピーすぎたのがバレて非常に恥ずかしかったです。
搬送先の大学病院で、レントゲンを撮ったり諸々の応急処置をしていただきましたが、着用してたスキニーパンツは患部の腫れとギプスで履けなくなりました。
ちょうどその日は事故に遭ったのが15時30分くらいで、18時頃から友人達と私の自宅で集まる約束をしていました。
その友人達に、ゆるめのズボンを買ってきてほしいと伝えると、ちょうどUNIQLOに居たらしくそのままズボンを買って病院まで来てくれました。
荷物のサポートや、しばらくの松葉杖生活に備えた備品の買い出し、タクシーピックまでして送ってもらいました。
元々私の家で遅めのクリスマスパーティー(1月13日)をするつもりで集まったのに、完全に私の身の回りのお世話になってしまって本当に申し訳なかったし感謝しています。
※その日パーティーは決行しました。
乗り捨てたチャリンコも警察が自宅まで届けてくれました。感謝。
事故から1週間経ちましたが、明日手術をします。人生初の全身麻酔が怖すぎて不安ですが、塗り絵と読書をしながら精神を安定させています...。
怪我とは長~い付き合いになりそうですが、根気強く頑張りたいと思います。
両脚で元気に歩けるようになってからも、しばらくは交差点恐怖症になりそうです。
普段から走り回る仕事をしているので、仕事に行けないのが辛い...。
行きつけのオリーブチキン屋さんにももう1週間以上行けてない...。(平均週3)
信号渡る時の左右確認というのは、自分の身を自分で守るために本当に必要なこと!
青信号だから大丈夫と過信しない。
ちなみに自転車で横断歩道を渡る時の正しい渡り方は、
①自転車を降りて横断歩道を押し歩く
②横断歩道の自転車専用レーンを走る
のいずれかだそうです。気をつけましょう。
車は本当に戦闘能力が高いので、ちょっと接触しただけでも怪我します。これがスピード出てたら...と考えると恐ろしいです。
あと、人間は意外ととっさに危機回避の体勢がとれません。アクション映画のようにはいかない。
トラウマだらけの都会だけど、人の行き交う都会だから助けられた。
そう思うのでした。
【我が家にお墓に入る入らない論争があった頃】
幼少期、うちの両親はファッションの好み以外で意見が噛み合ってるところを中々見たことがありませんでした。仲が悪いわけではなくて。
そう私が感じた理由の一つに、死んだ後お墓に入る入らない論争がありました。
私は小さい頃からよく「死んだ後ってどうなるの?どうするの?」と親に聞いては頭を抱えさせるような質問モンスターチルドレンだったので、寝る前の死後の世界議論はよく行われていました。
母方の実家には代々使用しているお墓がある為、母は当たり前のように墓に入ると言いました。
あと火葬の時に「ご近所物語」を全巻入れてと言いました。間違えてパラキスを入れてあげようと思います。
一方で父は、
「粉にして海に撒いて。」
と言いました。
海。。
正直こいつは本当にまじでかわった奴だなと思いました。私は2歳の時に海で溺れて以来海への恐怖心が払拭出来ずにいたので「海??絶対嫌www」と思いましたが、お葬式で家族の骨が納骨室に追加されるシーンもなんとなーく苦手だったので、自然に還るという考え方は採用したいと子どもながらに感じました。
参照元:死んだら遺骨は海にまいて...と言われたら
海への散骨にはいくつか守らなければならない手順があり、基本的には業者に依頼するみたいですが、禁止エリアでなければ個人で行なっても法で罰されることはないようです。
さて、今のところ私はどうしたいかというと、死んだ後自分の肉体はなるべく有効に使っていただきたいと思う。それで残った骨を直にどっかいい場所に埋めてほしいな。いい場所ってどこだよ。
まあそれは人生かけて探すとします。希望は樹木葬というやつです。
そう、最終的にはカルシウムとなり大地に貢献出来ればそれでいいです。
参照元:「死後は自然に還る」ということ
海への散骨は自然葬。
埋葬が許可された人工的な樹林墓地への埋葬は樹木葬と呼ばれるそう。
こういった、いわゆる樹木葬は今結構人気なようで、場所によっては応募倍率がお受験か!ていうくらい高いようです。
でも、好きな人と同じ墓に入るっていう考え方も素敵だと思うよ。生涯独身かもしれないし、結婚して子どもも出来るかも。まだ人生の終わりのことなんて予想出来ないけれど、とりあえず近いうち私が死んでしまったら、どこか星が綺麗な場所に骨を埋めてください。
縁起でもないけど、そもそも綺麗な星空をまだ見てないから死ぬ予定はないです。
【『高嶺の花』が最終話をむかえ情緒不安定になりました。】
来週からの日常生活、どうバランスをとっていこうか考えています。
遂に最後の水曜日が来てしまいました。
『高嶺の花』は最終回です。
野島伸司脚本だし...
正直誰かしら死ぬと思ってました。その悲しみを糧に他の誰かが強く逞しく生きていくのだと思ってました。
結果
みんな生きてる!✨
みんなハッピー!✨
さんざん登場人物たちを闇堕ちさせた挙句みんなしてハッピーエンドにも程があったので、ひたすら最終回の幸せポイントを書き出して満足してみることにしました☺️
・ももちゃんの新流派が認められた🌹
・ももちゃんが実のお父さんと仲直りした
・ももちゃんとプーさんが幸せになった
・龍一さんが馬と仲良くなった
・龍一さんとななちゃんが幸せになった
・宗太がチャリ旅と共に解毒完了
・宗太がほっそりして帰ってきた
・宗太がママと仲直りした
・いるかさん生きてる
・御家元とルリ子さんが仲直りした
途中までは全く思い通りにならないハードモードな人生歩まされてた登場人物たちがラスト全員幸せそうに笑ってました。なんか憑き物でもとれたようにみんな笑ってました。
ももちゃんの華麗なるビジュアル変化も良かった。
https://www.ntv.co.jp/takanenohana/
「天才達の人生を賭けた戯れ、それが芸術。」
By月島市松
いいドラマだった。
野島さんの人生を賭けた戯れ、超サイコー✨✨でした。
こんな頭悪そうな感想しか出てこないけど本当に『高嶺の花』、名作でした!
こりゃ歴史に残っちゃいますね~。
なるべく沢山の人に見逃し配信で何回でも観てほしいし!そして感動を共有したいです。
来週から何を楽しみに生きようかな。
これはロスが酷そうです☺️
そういえば、テーマソングが『ラブミー・テンダー』という古き良き時代の洋楽を持ってきてる点に共通点を感じてキムタクの『プライド』を思い出しました!『ボーン・トゥ・ラブユー』がテーマソングだったの、よく覚えてます。14年前...。
あれも野島伸司脚本だったことを最近まで知らなくて、心底感動しました。
今改めて全話観たいな~。
アイスマンかっこよかった。「メイビー」流行ったわ。
参照元:フジテレビ 『プライド』
https://www.fujitv.co.jp/b_hp/m9_pride/
とりあえず今は、『ラブミー・テンダー』の脳内再生が止まらない。
残された夏のドラマ達を楽しみに、肌寒くなりかけたこの9月。
生きます☺️
【平成最後の夏ドラマが終わります】
平成最後の夏。水にも恋にも溺れず、夏ドラマに溺れています。とても順調に。
リアルタイムで観賞出来ず、見逃し配信で追いかけた水曜ドラマ『高嶺の花』。夏ドラマが始まった時点では個人的期待値は低かったんです。でも野島伸司だし、石原さとみだし、なんとなくで見始めました。
1位ヒモメン、2位がケンカツ、3位チアダンくらいで考えてた。それが
1位『高嶺の花』
2位『この世界の片隅に』
3位『義母と娘のブルース』
こんなにも順位が変動した。それくらい『高嶺の花』が予想以上に素晴らしかったと声を大にして言いたいです。
https://www.ntv.co.jp/takanenohana/
まだ観てない人もhuluで観れますから。
9話まで観た時点で全体の感想!
好き!
思ったよりも100倍闇深い。
個人的に9話の見どころを3つにまとめました。(後半30分)
その1
自分を裏切った恋人龍一(千葉雄大)のドン底状態を、ももの妹月島なな(芳根京子)がきれ~な心ですくい上げるシーン。
華道神宮流の家元争いに破れて人が変わったようにネガティブ発言をしまくる龍一さんをななちゃんが抱き締め、「貴方を戻してあげる。元の綺麗な貴方に。」って言うのが名シーン。
女神...。
その2
月島もも(石原さとみ)が月島市松(小日向文世)の実子でないことを知り自暴自棄になってるところ、運転手の高井さん(升毅)が実の父であると名乗り出るシーン。「貴方なのね...。」ももちゃんは受け入れるどころか軽蔑の眼差しで突き放してしまって、高井さんはその場に泣き崩れる。
この時の高井さん、完全に“ただの運転手”ではない顔してました。私は見ました。
その3
もも(石原さとみ)が自分の生い立ちを知り、お家元月島市松(小日向文世)に、母の裏切りにより出来た子なのに、憎いはずなのに実子として不自由なく育ててくれてありがとうございますと感謝の一礼をするシーン。こちらは逆に、すでに“娘&父”の顔ではなかった。
9話だけでこんなに心揺さぶられるシーンがギュッと詰まってるの!演者と製作者の本気を見て私は涙が出そうになりました本当に。ヤバい。(ボキャ貧)
H/K
私自身の話しですが、大学では芸術学を学んでいました。商学や経済学を学んでいたら、もっとビジネスに強くなったかな?法律を学んでいたら効率良く生きれたかな...?
何度も考えたことがあります。
「ここで学ぶのは、生きる為ではなく、生きることを楽しむ為の学問なんだ。深くは考えないように。」
大学で教授は私にそう言い、正直私はよく理解出来なかった。
「いや、まず生き抜かないと楽しむことすら出来ないしな人生。」とか不貞腐れた感情すら抱いた。
けど実際1人で生きるようになってみて、「生きることを楽しめない人には生き抜けない。」という意味がわかってきた。仕事以外、1人で無駄なく衣食住淡々とこなしていると、初めは良くても段々情緒が不安定になって、考え事が増えて睡眠も浅くなった。
芸術学科とはまさにその「無駄」を学問するところでした。無くてもいいもの。
でもその「無駄」は不要なわけではないんです。
このドラマ所々、人間であるがゆえの縺れみたいなのが起こってて、それが伏線となり後々奇跡や絶望を生んでいます。人間だから計画通り出来ない。感情が入って、こっそり種を蒔く。そうして「こんなはずじゃなかった。」が生まれるんだろうな。それは奇跡でも絶望でもあり、ももちゃんが生まれたのも、ななちゃんが龍一さんを許せたのも、人間が起こした奇跡の結果なんでしょうね。めでたし
最終回来週9/12日です🌹
ドラマを通し、「芸術は人間が生み出すもの。」だって改めて語りかけられたんだと私は勝手に捉えました。
ここまで書いて何を主張したいかと言うと
ドラマ見たほうが良い。
です。
だってありとあらゆる才能ある人が力を結集させて作ってるんですから。そしてテレビで誰だって簡単に観られるんだから、コスパ良くない??
我ながらうっせーなこの文章。って感じです。でも恥ずかしいので読み返したりしません。お手柔らかにどうぞ。
あとH/Kは話変わるけどの略です卍卍
↓野島伸司さんについてサックリわかる記事
高嶺の花:単なる“格差恋愛”ドラマにあらず ドラマPが語る野島伸司の魅力とは?https://mantan-web.jp/article/20180707dog00m200038000c.html
【芸術家に罪悪感は必要か。】
こんばんは。
毎日ドラマを追うのと睡眠確保で精一杯。悩み事をしてる暇もないので助かっています。このまま猫とか飼い始めたら本当に危なそうですが、私の夢は一応専業主婦であり田舎で子育て。育てた野菜を料理して作り置き。昼間にこっそり任天堂のゲームとかしながら暮らすことなんです。
先日水曜ドラマ『高嶺の花』をhuluで追いながら考えたことです。ドラマ観てない人には伝わらなくてごめんなさい。
芸術家に罪悪感は本当に必要か。
主人公のももさんが華道家の道を極めるために必死に得ようとする罪悪感。
人を裏切り罪悪感を得ることで、一生それを背負って華道一筋生きていく...!
と、人を裏切る決意をしていましたが、あれがすっごく引っかかってました。一流の芸術家ってそこまで自分を追い込まないと道を極められないのかしらって。
https://www.ntv.co.jp/takanenohana/
先日職場でトラブルが続いてバタバタ残業してたので、仕事終わりに行くはずだったお着物教室キャンセルしちゃったんですよね。予約を取った時点で時間を買ってるも同然だと考えてるので、すっごく申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
そしたらなんか着物屋さんへの罪悪感から、「この時間を絶対無駄にしてはいけない...」と強く感じ、めちゃくちゃ家事が捗りました。しまいには変なクッキーまで焼き始めました。作ってみたかっただっこくまクッキー🍪🍪
https://cookpad.com/recipe/4376255
芸術家のそれとは全く別だと思いますが、プチ罪悪感現象を感じた1日なのでした。
そういえば大学時代、興味ない授業ギリギリまでサボって図書館の地下で好きな本読んでた。サボった授業の教授は本当に申し訳ありません。
でもこういう罪悪感を抱えながらする勉強は捗るんだよな。
ももさんが言ってたのもこういうことなのでしょうか。(いやたぶん違う。)
現場からは以上です。
【マイメロディが理想の私だった頃】
思春期=マイメロディが好きだった頃
でイコール関係が成立する私の学生時代。
マイメロディはサンリオのキャラクターで、ハローキティと常に天下争いしてるような強キャラです。趣味=媚び売りみたいな顔した可愛いうさぎ。大体ピンクか赤の頭巾をかぶってます。
参照元:サンリオ マイメロディ https://www.sanrio.co.jp/special/mymelody/sp/history/
思春期というより反抗期。13~15歳くらいの一番多感でデリケートな時期です。
近所の公園で遊んで夜中まで帰らなかったり習い事サボったり、とりあえず親が動揺するようなことをしてた。でもそんなに大それたことする性格でもないから教室の窓割ったり池の水抜いたりはしてません。
いよいよ受験を控えた中3の夏、「国際に行く!」って決めてからは部活と塾を往復しながら必死に勉強しました。
担任にも学年主任にも「志望校を下げよう。」と言われ、やっと自分で見つけた夢の翼をへし折られた気分になったし悔しくてたまらなかったです。
「絶対合格して全員見返してやるかんな卍卍」
というしょーもない反抗心だけであの頃生きてました。
まあでも本当に頭悪かったから、塾通ってなかったら国際高校のみんなには会えてなかったと思う。私の成績押し上げてくれた塾の先生方には一生感謝します。あとこんなバカ娘に投資してくれた親。
そんな私の中学時代は徹底的にマイメロが好きで、筆箱やポーチ等身の回り品の殆どをマイメロで固めていましたし、電子機器類のパスワードも大体“MY-MELODY”って設定してたのが高校の友達に見つかって死ぬほど笑われたくらいです。高校へ上がると同時にマイメロ愛もすっかり冷め、シンプル思考に転じたのですっごく恥ずかしかった。笑
今でもマイメロが嫌いなわけではないけれど、あのビジュアルを見ると自分のデリケートで歯痒い思い出たちが蘇るので余り好んで身に付けることはしませんし、殆どメルカリで売りました。青春のマイメロたち。
中学生の私、本当はきっとマイメロみたいにキラキラニコニコ目からハート出そうなくらい愛嬌振りまいて生きたかったんだと思います。(それは今も無理...)
別件ですがこの時期の私たちにアンジェラアキの『手紙』合唱させた音楽の先生天才だったのではないでしょうか。
『手紙~拝啓 十五の君へ~』
選択音楽の非常勤講師、なんて人だったかな~!懐かしい!
今日も私は心の中にマイメロちゃんを飼いながら笑顔で仕事に励もうと思います。
【私は絶対タヒチに行かない。】
こんばんは。
自分の名前について考えてました。恥ずかしながらこの歳になりやっと自分の名前を好きになることが出来ました。私の下の名前は平仮名で“ひなの”と表記します。苗字も10画以内に収まる簡単な漢字なので、「スッカスカで迫力ないな~。」とずっとプチコンプレックスでした。(“雛乃”とか難しくてゴリッゴリに強そうな漢字に憧れてた。)
苗字に使う漢字も小1の間に無事習い終え、小2のある日、「自分の名前の由来を親から聞いてくる。」という宿題がでました。親にちゃんと聞くのは初めてだったので、何か隠された意味とかないかなー?と期待しながら両親に尋ねたわけですが、
ありませんでした!!笑
母「響き!可愛かったから!吉川ひなのみたいでしょ?」
と言われ頭を抱えました。
その後父親がネットで調べてきて、
父「“ヒナノ”ってタヒチでは“かわいい子”って意味らしいよ。これ書けば?」
と言われ、後付けかよと内心思いながらもそのまま書き写しました。
翌日の授業でみんなが「素直な人に...と願いを込めて~。」とか、「愛する心を持って欲しく~。」とか素敵な由来を発表してるのを羨ましがりながら聞きました。
その日私は誓いました。子どもの名前には素敵な由来もセットで考えようと。(まだ産む予定ないです。)
ちなみに弟は“凪(ナギ)”といいますが、「波が凪る(風が止んでいる状態)ように穏やかに...」という意味があります。奴もやっぱり小2くらいの時に同じ宿題出されてたので、姉としてもひと安心しました。
しかしこの歳まで生きてみて、“ひなの”という名前にメリットを感じることが増えました。
- 珍しいので初対面の人に覚えてもらいやすい。
- テストで名前が速く書き終わる。
これは最大のメリットで、受験生の時に名前の恩恵を最大に感じました。スタートダッシュ万歳。
結果親に感謝しています。
先日友人とHINANOビールの話しになり、私がもしタヒチに行って“HINANO”と名乗る時、日本語に置き換えるとどういうニュアンスの恥ずかしさを感じるのかを真面目に考えてました。
※補足ですが、“HINANO”はタヒチの言葉で「かわいい子」の意味です。
https://mitsuifoods.co.jp/mfp/import/hinano/
例えば初対面で「こんにちは!私は“HINANO”です。」って言うと
現地の言葉で「ハロー!私は“カワイイ”で~す。」ってニュアンスで伝わるのかな?って具合に。
色々考えたけど一番腑に落ちた表現が
“オジョウチャン”。
「私は“オジョウチャン”。よろしく‼︎」
って自己紹介は確かに恥ずかしいな。
ってことで私は絶対タヒチには行きません。